PRプランナー 妹尾浩二の日記

日々の活動記録

Archive for 3月, 2013

サンフランシスコの日々

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先日、生まれて初めて、アメリカ大陸本土に足を踏み入れました。
今年1月に銀婚式を迎えた記念と、留学中の長男に会いに行くのを兼ねて、3月15日から4泊6日の日程でサンフランシスコ(SF)を訪問しました。

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旅程を決め予約した後で、たまたまWBCの日本代表が決勝ラウンドまで勝ち進み、現地時間の17日にSFで準決勝の試合があるというので、その観戦ができたらと思っていました。

関空を発って(UNITED886)9時間半、現地時間3月15日の午後にSFに到着。低価格のツアーだったのでホテルはかなり古く、ホテル周辺はSFの中心部でも治安が悪い地域と言われ、黒人のデスペラードたちがたむろしているようなところでした。ちゃんと調べてホテルのグレードをUPすればよかった、と早くも後悔。

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ホテルの部屋で休んでいると長男が到着。彼は大学3年の秋から1年間、語学の勉強のために休学し米国に来ています。渡米6ヶ月、どの程度英語がモノになっているのかを確かめる意味もあって、彼 に現地でのガイド兼通訳を頼みました。半年ぶりに会う彼は、ジャンクフード中心の食生活のせいで一回り太り、肌荒れがひどくなっていて、妻の心配の種をまたひとつ増やしてくれました。でも勉強の傍ら、休日には各国から来た友達と一緒に遊んでおり、現地の地理にも詳しくなっていて、日常会話も不 自由ない程度に英語をマスターしていたので、予想以上にガイドとして頼りになりましたね。

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まずはSFの街を散策。ホテルから徒歩10分足らず、街の中心部のパウエルという場所から、SF名物のケーブルカーに乗ることに。SFは聞きしに勝る坂ばっかりの街で、ケーブルカーは市民や観光客の大切な移動手段として定着しているそうです。1日フリーの切符を使ってハイド通り行きのケーブルカーに乗り込む。急坂を上って長男の通う学校があるフィッシャーマンズ・ワーフ方面へ。途中、アメリカのいろは坂と言われる「ロンバート・ストリート」に寄り、遠方に監獄の島「アルカトラズ」とゴールデンゲートブリッジを眺めながらハイド通りの坂を歩いて下ると、そこはフィッシャーマンズ・ワーフ。

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かつてはイタリア人の漁民たちが開いた漁港だったところですが、今はSF随一の観光地として休日には大変な賑わいを見せます。ゴールデンゲートブリッジを眺める港がフィッシャーマンズ・ワーフ、これを真似て瀬戸大橋を眺める与島に「京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」ができたのは25年前。こちらは観光客が減って閉鎖されたけれど、本家のほうは今でも活気にあふれていました。

日が暮れる頃にはパウエルまで引き返し、ユニオンスクエアのそばにある「チーズケーキファクトリー」で夕食。ここは店名前の通りチーズケーキが名物です が、パスタ系もおいしいというので、スパゲティとパスタとサラダで初日の晩餐。どの皿もボリューム満点で、結局サラダが食べきれず残ってしまいました。

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2日目、カリフォルニアワインの主産地であるナパバレーへ。ゴールデンゲートブリッジを渡って約1時間半、広大なブドウ畑が広がる山間をのんびりとしたワイントレインが走る風景は、ほんとにカリフォルニアの魅力を感じる風景でした。この地域には400ものワイナリーがあって、その品質、味ともにフランスをしのいで世界一だと、ガイドさんが自慢していました。この日回ったワイナリーは5ヶ所。うち3箇所でテイスティングをさせてもらいましたが、正直言ってワインの味は全くわからず、あまり興味もないので、丁寧な説明もほとんど聞いていません。ただし、お勧めのワインは白なら「ソービニヨン・ブラン」、赤なら「ピノ・ノワール」ということだけ知っておけば、日本に帰って知ったかぶりができるということなので、ちゃんと覚えてきました。

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3日目は夕方にWBC観戦の予定があるので、それまでSF市内の主要な観光地を回る半日ツアーに参加。シビックセンター、アラモスクエア、ゴールデンゲートブリッジ、パレスオブファインアートなど足早に見て回りましたが、中ではツインピークスからの眺望が秀逸でした。当日はカラリと晴れ渡り、太平洋、カリフォルニア湾、そしてSFの高層ビル群までくっきりと眺められ、ちょっとした登山気分を味わえました。

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夕方、ユニオンスクエアで長男と合流し今回の旅行のオマケというか目玉というか、WBCの準決勝が行なわれるAT&Tボールパークへ。この試合のチケットも長男がネットで確保してくれました。我が子ながら異国の地で何から何まで頼りになるやつです。アメリカの球場は日本とは雰囲気が全く違い、非常に開放的で、余計にワクワク感が高まります。席はこんな日だから奮発してバックネット裏の特等席。ピッチャーのマエケンの顔も、ボールのコースもよく見える最高の場所に陣取りました。試合は、一回の表にマエケンが連続四球からヒットを打たれて1点ビハインド。そのあと何とか踏ん張って1点差で5回まで来たのですが中継ぎの能見が2点本塁打を打たれ3-0。日本の各バッターはタイミングが合わないのか、三振か内野ゴロばかりを重ね、8回。鳥谷の3塁打のあと井端がヒットで1点返し、内川がヒットで続いて、4番阿部。日本ファンで埋まるスタンドがようやく盛り上がる。ところがここで、内川がサインミスでアウト。まさかの凡ミスに一気に反撃ムードがしぼんでしまい、結局3-1で敗れました。まあ、勝てていれば最高に楽しかったでしょうが、ここで生のWBCが見られただけでも良しとしましょう。

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4日目は早起きしてヨセミテ国立公園のツアーへ。SFから目的地までは360km、片道5時間の道のり。日本では考えられない強行軍の日帰り観光です。事前に移動距離を聞いていればこのコースを選ばなかったと思いますが、結果的には、行って大正解でした。フリーウエイから一般道に入ってもまっすぐで平坦な道が続き、左右の車窓からはぐるりと地平線が見える。こんな雄大な景色は北海道でも見られません。さすがは大陸です。

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ヨセミテに着くと、またさらに景観は雄大さを増し、高さ1000mを超える巨大な一枚岩エル・キャピタンや、大きな岩石のハーフドーム、そしてヨセミテの滝など、見るもの全てに「はあ~」「へえ~」「すげ~」の声しか出てきません。その中で、ハーフドームはノースフェイスのロゴマークのモチーフになったり、シエラクラブのワッペンにデザインされていたり、アウトドア派としては非常に印象深い景色で、日本に戻ってからのウンチクのネタが増えたのが嬉しかった。ヨセミテ渓谷を流れる「マーセド川」は、上流部は岩だらけの激流で超危険な感じでしたが、少し下流まで行くと、カヤックで楽しめそうな瀬があちこちにあって、車の中からずーっと眺めていました。でも水温は一年中低いんだろうなあ。

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そんなこんなで、最終日19日は午前中の便(UNITED885)でSFを発ち、11時間半かけて20日の午後3時過ぎに関空到着。

もし長男が今、留学していなければ実現しなかったであろうアメリカ西海岸への旅。食事のこととホテルの立地以外は本当に満足のいく旅行でした。十分リフレッシュさせてもらったのでまた、気持ちを新たに仕事も頑張れるでしょう。

Written by COZYSENOO

3月 21st, 2013 at 9:38 pm

Posted in オフタイム

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ある日、日本経済新聞を見ていたら「えっ?あの人の会社が全面広告?」と驚いたことがありました。
そこにはA社長の会社が作った旅行かばんの広告が掲載されていました。
初めてA社長に会った時は四国の手袋メーカーで、旅行カバンの開発中でした。
私はその時、仮に商品化できても売れるだろうかと心配していました。
早速A社長に広告効果について電話したところ、「販売ルート作りに大変効果があった」とのこと。
「すごい!」と思い、私も一生に一度くらいは日経新聞に全面広告を出してみたいと思うようになりました。

この、日記のようなものは、JALの旅客機の手荷物棚に備えられた特殊な鏡などを作っている
埼玉県の鏡メーカー、コミーの小宮山社長の文章です。

香川県の手袋メーカーS社が日経新聞に掲載した全面広告に刺激を受けて、自社でも日経に広告を出そうと
決心した経緯を書いたストーリーのさわりの部分です。

2007年6月20日、コミーの広告が日経新聞の中面1ページに大きく掲載されました。
このとき同社の売上は5億円。社員16人という、ほんとに小さな規模のメーカーでした。
日経全国版の全面広告はおそらく1千5百万円以上はしますので、まともに考えると会社の身の丈を
超越した馬鹿げた広告だったはずですよね。

でもコミーは、この思い切った広告をきっかけに、全国に取引先を広げていき、売上規模は急拡大
しないながらも、業務用の特殊ミラーというニッチな分野で日本のトップメーカーとしてのブランドを
確立してきたんです。

ストーリーはこのあと「日経新聞を選んだ理由」「反響が大きく問い合わせが相次いだ」
「言いたいことを1ページに詰め込みすぎて失敗」「新しい方向性が見えてきた」と展開していきます。

文章は少し拙いですが、内容はとても起伏に富んで面白い、読み応えのある物語でした。

コミーの「物語」はこのほかに、「航空業界参入物語」「万引き問題物語」「社名・ロゴ変更物語」
「新社屋建築物語」など20数編があります(2011年2月時点)。
これらは小宮山社長が業界紙に寄稿していた記事がベースになっていて、後に社員が引き継ぎ、
会社にとっての大きな成功例や失敗例、会社の転換点となった出来事について、小冊子として
残されているのだそうです。

実例を時系列にストーリー仕立てにして書き残しておくと、その時問題の最前線にいた社員が何を
思いどう行動したのか、その結果どうなったのかなど、一連の展開や因果関係が社員のための最高の
教材になるのだとか。

自社の成功、失敗の歴史が物語として残されていて、新しい社員が読むことで経験を共有できる。
同じ物語を何度も読んで追体験ができるのも素晴らしいことです。

それは社史を作るという目的だけでなく、会社のDNAを理解して受け継いでいくためにも重要な
取り組みだと思います。

また、こうして読みやすい物語風にまとめてあると、取引先やマスコミの方に会社を紹介するときに
非常に理解されやすくなるというメリットもありますね。ストーリーに関連した写真やイラストが
添えてあれば、さらに理解が深まるでしょう。

大きな問題が生じたときやプロジェクトが終ったとき、後世に伝えたい会社のトピックスがあったときは、
できるだけ間髪を入れずに事実関係や関連した人物を取材して、時系列に物語として記録しておくことを
お勧めします。

もし、そういった出来事を記録にとどめておかなければ、実際にその問題に直面した社員がいなくなって、
みんなの記憶から消えてしまうと、大事な会社の歴史を振り返り、歴史に学ぶということもできなくなって
しまいますからね。

実は私が以前お手伝いしたある老舗の会社でも、前社長の頃の会社関係の古い資料や記録写真がほとんど
残っておらず、古参の社員もみんな辞めてしまって、この会社がどういう時代を歩んできたのかという
ことが誰にもわからないというケースがありました。「社史が風化」してしまっては、後から悔やんでも
仕方がありませんよね。

Written by COZYSENOO

3月 15th, 2013 at 12:42 am

Posted in オンタイム