PRプランナー 妹尾浩二の日記

日々の活動記録

Archive for 8月, 2011

3年目の富士山登頂。奇跡のご来光3連勝!

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3年連続の富士登山です。記念すべき(?)50歳の誕生日となった2011年8月25日の夜、夜行バスに乗り込んで出かけてきました。今回も新日本ツーリストの「ばけーしょんくらぶ」の富士登山ツアーを利用させてもらいました。

相棒はマラソンランナーのNagaさん。健脚には根性で対抗します。
夜通し走って翌26日お昼に富士スバルライン五合目に到着。折から日本列島には秋雨前線が停滞して登山口付近は雲の中。
歩き始めても視界は広がらず。七合目に差し掛かる頃には雨も降ってきて、これまでに経験のないほどの悪コンディションでした。そんな中でも、シーズン終盤の週末とあって老若男女大勢の登山者が集まって、登山道はひどい渋滞。東京の人ごみをそのまま山に持ってきた感じ。でも「お前が来るからじゃ」と言われればおしまいです。
宿泊するのは、頂上に最も近い八号五勺の山小屋「御来光館」。歩き始めておよそ6時間掛かってたどり着くと、午後8時。辺りはもう夕闇に包まれ、いつの間にか雲が切れて満天の星空が見えてきました。もしかすると明日、山頂で御来光が拝めるかもしれない期待が膨らみます。
山小屋で質素な夕食をとったらすぐに布団が敷かれ、就寝の時間です。いつものことながら、一人用の布団に大人の男3人が体をひっつけて寝る。人のイビキや歯軋りだけでなく、自分のそれも気になるし、だいいち寝返りも打てない中では眠れるわけもなく、疲れた体を横たえて数時間の休憩。
翌朝、といっても深夜1時に起こされてすぐに出発準備にかかり、寝ぼけた頭のまんまで、真っ暗闇の中をヘッドライトの明かりを見ながら山頂を目指します。山小屋から山頂までは標高差およそ300メートル。高松でいえば屋島に麓から登るくらいで、たいしたことはないのですが、何しろ前日クタクタになって、ほとんど眠れていない上に、高山病一歩手前の頭痛の中で登るのですから、結構キツイものがありました。天気は曇っているのか晴れているのかハッキリせず、足取りは余計に重くなります。
最後の急峻な岩場を乗り越えると、頂上の久須志神社の鳥居が見え、ついにゴール。3776メートル地点の剣が峰には昨年登ったので、今回はパスして、山頂山小屋でゆっくりと過ごすことに。
温かいラーメンを食べながら小一時間待つうち、東の空がうっすらと明るい紫に変わってきました。これならご来光が期待できそう。寒さも忘れて急に心が浮き立ってきます。
眼下にはビッシリと雲のじゅうたん。これまで見た中で一番見事な雲海でした。その雲の先が紫からオレンジに変わり始め、ほんの少しずつ明るさを増していく。一瞬、雲の先がキラリと光って、カメラを覗くと一本の光の筋がファインダーをナナメに横切りました。今回もご来光を見ることができました。
昨日の天気からはほぼ無理だと諦めていたので、余計に感動しました。3年連続で登頂し、3回ともご来光がバッチリ拝めたのは、確率的にはきわめて低い、まれなことだったようです。友人K氏がフェイスブックでメッセージをくれたように、私はなにか「もっている」のかも知れません。
本格的に山を目指す人からすると、富士山はレジャーの延長のように思えるかもしれません。それでも日本の最高地点に立ち、さらにそこで御来光(夜明け)を迎えるのは、神々しい経験だと思います。
今回も登山前に仕事の課題をいくつも抱えていましたが、どんな悩みも小さなことと思えるほどの瞬間を味わうことができました。ほんと、単純ですみません。
下山はひざの痛みとの戦い。できるだけ負担を掛けないように、2本のストックを使いながら、リズム良く降りていく。登りの半分以下、3時間ちょっとで五合目まで到着。
一杯のビールが美味かったこと・・・。

Written by COZYSENOO

8月 28th, 2011 at 11:20 pm

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8000メートルからの情報発信

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今、毎日新聞の朝刊に登山家の栗城史多(くりきのぶかず)氏の記事「時代を駆ける」が連載中です。彼はまだ29歳ながらも、世界7大陸の最高峰のうち6P1030588つまでを単独・無酸素で登頂した日本でただひとりの男。単に一人で山に向かうのではなく、企業から協賛金を集めて中継部隊を組織し、世界で初めてインターネットを通じて登山の様子を生中継しながら登る「エンターテインメント登山」という新領域を開拓していることでも話題の人です。記事の内容も興味深いのですが、私は彼の著書を読んだり、彼にまつわる映像をユーチューブで見たりするのが好きで、そのたびに心を揺さぶられます。

私が彼のことを知ったのは、1年半ほど前に本屋で立ち読み中に見つけた、あるアウトドア雑誌の記事でした。身長162センチ、体重60キロ。私よりふたまわりも若く、私よりずっと小柄な青年が、中継機材の入った通常より重い装備を担いで過酷な8000メートル級の山々に挑戦していると知り、どうやって登っているのか、ちょっと興味がわいたんですね。

すぐに同じ店の新刊コーナーにあった彼の「NO LIMIT」という本を買って帰り一気に読みました。

7500メートルを超え酸素濃度が地上の3分の1しかないデスゾーン(死の地帯)で、酸素ボンベを持たずに自分の体力・精神力の限界を超えて一歩ずつ上を目指す。そしてその挑戦の一部始終をインターネットの生中継で地上の人たちに配信する。何の目的があり、彼がなぜそこまでやるのか、読み進んでいくうちにわかってきました。

彼は、単に世界の最高峰を制覇したいという、純粋な登山家とはまた違った夢を持って山に登っているんですね。

「昔、『なぜ山に登るのか』という問いに『そこに山があるから』と答えた登山家がいた。でも僕の場合は、ちょっと違う。生と死のはざまで学んできた『生きる』という力を、同世代の若い人たちにリアルなメッセージとして伝えたい」って。

普通の登山家の目的は、高い山の頂上を極めることで達成の喜びを味わったり、自分の限界を超えた自分に酔いしれたり、多くはそういう「自己満足」の世界です。もちろん栗城の場合も自分自身で喜びや満足を味わう部分もあるでしょう。しかし彼は、達成感や陶酔を自分の中にとどめておくのではなく、より多くの人に伝え、困難に立ち向かう勇気や難関を越えていく元気を与えたいのだそうです。

「登山家の目的は山に登ることで、実際僕は単独で山に登り続けてきた。でも一人では限界がある。共有し、感動を分かち合うのが、本当の冒険だと思っている」

彼は、エベレスト登頂に賭ける思いや、資金集めの苦労や、山での楽しみや人と自然への感謝、そして極限状態での痛みや苦しみ、弱い自分とそれを鼓舞する心の葛藤などを余すところなくメッセージとして、世界の人たちに伝えていきます。

彼が書くことによって本になって多くの人に読まれ、彼が映像を記録しネットで公開することで、下界に居ながらにして登山の過酷さと素晴らしさを知ることができる。特に彼と同年代か若い世代の人たちは、彼の挑戦に勇気づけられる。

そうして情報発信を継続していると、彼を応援し彼の登頂を共に喜びたい人が徐々に増える。次第に登山家・栗城史多としてのブランドが醸成され、次の挑戦のために必要となる資金が集まってくるようになる。彼は情報発信の内容やボリュームが普通の登山家よりケタ違いに多いからこそ、スポンサーとしても露出効果があり、自分自身がそれだけ価値の高いメディアになったと言えるのです。お金を集めることも夢を叶えるには必要不可欠ですからね。

一方で、彼の取り組みに異を唱える登山関係者もいるようです。「単独と言いながらベースキャンプまでスタッフが帯同して無線で指示している」とか、「シェルパがあらかじめルートを作っている」とか、「無酸素というのは下山までボンベを使わないことだ」とか・・・。

ケチを付けたい人には言わせておきましょう。そんなことはどうでもいい。彼のおかげで私たちは、8000メートル級の山の極限状態や頂上での達成感をバーチャル体験でき、今ここに生きていることを実感できるのですから。

Written by COZYSENOO

8月 10th, 2011 at 4:05 pm

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